征く年、來る年:創作元年と来年の展望

Patrick Silvestre 2020

企画・創作TALKさんによるTwiter企画に触発されて書いてみることにした。テーマは、今年一年の創作活動を振り返ろうというもの。

今こうやってしれっと創作活動を振り返るとか書いているものの、そのじつ私が創作活動を始めたのは今年の6月頃から。

キッカケはノリと勢い

冗談ではなく、真剣にその2つが動機だった。

遡れば長くなる。今年の1月、伊藤計劃氏の『虐殺器官』を読んだ。頭の中がぐちゃぐちゃに掻き回され、心底から「面白い」と思った。ドミノ・ピザからアメリカを切り取る作家さんに興味が湧いた私は、さっそく伊藤計劃氏についてネットであれこれ調べ始めた。そして、氏が長年書き続けてきたブログの存在を知ることになる。鋭い視点と、シニカルなユーモアはブログの文章でも健在だった。読み物としてふつうに面白かった。

折から、正月休みで時間を持て余していた私は、ノリと勢いだけでブログを始めた。映画についてなら、どれだけの文量を書いても苦にはならなかったし、一日中パソコンの前に貼りついていることにも、とくだん抵抗はなかった。

やがて、週末の休みになるとパソコンの前に向かってブログを書くことが習慣となった。映画を観る。本を読む。ブログを書く。なかば自動化されたこのルーチンを何度も繰り返しているうちに、Twitterで「文学フリマ」なるイベントを知った。

「文学」と銘打っているからには、それなりの高尚さが求められるような気がしたので、そのときは気に留めた程度だった。だが、参加要項を読んでみると、「文学=その人が文学だと信じるもの」と定義されているではないか。

なんとも衝撃的な瞬間だった。それまでずっと、「小説=高尚 / ハードルが高い / 一部の特権階級による占有物──私には無理」と思い込んでいた。

なんだか、何年も背負っていた荷物をようやく下ろせたような気がした。肩がすっと軽くなった。

まぁ、いけるやろ。多分……知らんけど

そんな程度のノリと、風呂上がりに飲んだビールの勢いだけで参加申込を済ませた。今から思えば、完全にアホである。申し込んだはいいけれど、夏休みの宿題は8月31日の日付が変わってから──つまり、9月1日の午前0時から解答を丸写ししていたタイプの私である。お尻に火がつかないと、そうそう焦らない。(いや、焦れよ……)

案の定で矢吹丈。イベントの3ヶ月前になっても、作品は一行たりともできていないという体たらく。これは困った。あら、また、ひろし(荒俣宏)

能天気にぼけーっと生きていた私の日常に、とつぜん激震が走った。7月に起きた京都アニメーションの凄惨な事件。学生時代の知人が勤めていた可能性があり、気が気ではなかった。焦燥感と不安で胸が詰まりそうになりながら、一日を過ごした。だけど、時間が経てばたつほど犠牲者の数は増え続けた。結局、知人は事件のあったスタジオには勤務していなかったのだけれど、だからといって素直に安堵できる気分ではなかった。

何かしよう。何かしなきゃ。そんな得も言われぬ焦りがじりじりと迫った。

どうして、あんなにも素晴らしい作品をつくるクリエイターが、無辜の人々が殺されなくてはならなかったのか。神様って本当にくそったれだな、と内心で毒づきながら、自分には何ができるのか考えていた。

そこで、先日申し込んだ文学フリマに思い至った。

学生時代、友人たちと欣喜して語り合ったアニメ作品をつくってくれたクリエイターの人たちに恩返しをする。作品に触れて、心を動かされたあのときの高揚感を、今度は自分が返す番なのではないか。そしてそれが、作品をつくってくれたクリエイターへ謝意を示す最善の手段なのではないか。いつしか、そう思うようになった。

前々から、なにかをつくってみたいとは思っていた。それが映画なのか、小説なのか、イラストなのか。媒体《パッケージ》は定かではなかったけれど、伝えたい中身、表現してみたいこと《コンテンツ》は漠然と頭の中にあった。ただ、それを実行に移すのが怖かった。自分の内側をさらけ出すのが怖かったし、赤の他人に自分の作品が受け入れられるとは到底信じられなかったのだ。

だが、これまで自分が受けてきたものを返さなければいけない。その気持ちのほうが強かった。

仕事の合間を縫って突貫工事で執筆し、どうにかイベント当日までに作品を仕上げることができた。睡眠時間を削って、極限状態になり、歩く屍のような状態を生まれて初めて経験できた。あのときの苦悶を思い出せば、たいていのことはできるような気がしてくる。(マジで死ぬかと思った。いや、本気で)

rv169_novel 第7回 文学フリマ大阪に参加しました

イベント当日には、Twitterで知り合った方やら、たまたま会場で通りかかった方に本を手にとっていただき、嬉しい言葉もいただいた。ほんとうに感無量だった。

それまで、「世の中に自分の作品を出すこと=怖い」と思っていたけれど、実際にそれを経験してみると、何にも変えがたい面白さがあった。寝食も忘れてなにかに没頭すること自体、学生時代からついぞ経験していなかったことに思い当たった。ものをつくること=創作すること──これに勝る面白いものはない。今ならそう断言できる。

会場で知り合った方に、見栄を張って「次は来年に新作書きます」とか、嘯いてしまった手前、次の作品を書くことになった。だけど、以前のような苦痛は感じなかった。目下、来年のGWに開催されるイベントに向けて急ピッチで2冊同時に執筆中である。たしかに、なにかを創ることはしんどいし、苦しい。調子の悪い時は、本気で自分を殺したくなるし、他人の活躍を見て嫉妬したりもする。でも、この呻吟も最後に待つ達成感のためなら我慢できる。この苦しみも、「面白い」と思えば頑張れる。

初めての同人誌は、見切り発車だったうえに焦りに焦ってつくったので今読み返すと「誰やねん、こんなん書いたやつ……」って自分を調伏したくなる。そういうわけで、新作2冊にくわえて、前作の大幅な──というか、ほぼ全面的な──改稿作業も加わることになったのだけれど、まぁ、これも楽しいからいいじゃないか

2019年 取り組んだこと

  • 映画ブログ『Hush-Hush: Magazine』を始めたこと
  • 小説を書き始めたこと
  • 文学フリマ大阪に参加
  • 体裁を保つため(というクソ小さいプライドで)このサイトを作成
  • 次のイベントに向けて新作を執筆
  • 放置ゲーだったTwitterを再開
  • Adobe製品の信者になった
  • 紙面づくり(DTP)の基礎を学んだ
なんだかこうして書き連ねると、「仕事しろよな」と自分に言いたくなるけど、職場の状況が変わって自分の時間が減ったうえでのことだから、まぁ大目に見てあげたい。というか、ブログ始めたのが一年前だなんて信じられないわ。光陰矢の如し。『モモ』の時間泥棒を思い出す。

で、来年はどうするのかというと、ざっくりとこんな感じ。

  • 5月 文学フリマ東京で新刊2冊出す。
  • 電撃文庫大賞にとりあえず応募してみる
  • 9月 文学フリマ大阪で新刊出す
  • 一般参加として、同人イベントに参加してみる
まぁ、ざっくりとだから、状況によっては多少変わるかもしれないけれど。

今は新刊の初稿と、電撃文庫大賞に向けての原稿づくりに狂奔しております。今年、実際にものをつくってみて、色々と自分に足りないところも見えてきたので、来年はよりスマートにこなせるよう研鑽したい。

今後の展望という意味で、「ものづくり」に対する認識の変化を記して結びとしたい。

7月にノリと勢いだけで作品を書き上げたときは、ただ、思いつくまま気の赴くままに作品をつくった。なんとなく、「自分がこうだと思うもの」「これはええんとちゃうか、と感じるもの」を指針にした。まぁ、ぶっちゃけて言えば、何も考えてなかったのである。

だけど最近思うことは、自分が創作しているときに感じた「面白い」って何なんだろうということ。映画や小説に触れたとき思わずこぼれる「うわぁ、面白いわ。これ」っていうアレのこと。ひとくちに「面白い」って言っても、何が面白いと感じたんだろうかとか。同じ「面白い」でも、「ソードアート・オンライン」と「パトレイバー」で感じる「面白い」は種類が違うわけで、この違いって何なんだろうとか。

要するに、最近になってようやく作品の受け手の目線を意識することができるようになってきた。以前は「なんとなく自分の触覚が向いたもの」をつくっていたけれど、今は違う。「面白い」──つまり、エンタメすることに俄然意欲的になった。「面白い」と感じる物語をつくりたい。かつて自分が「うわぁ、これホンマに面白いわ」と目を輝かせたあの興奮を、こんどは他人にも味わって欲しい。それを自分の作品で体現できたなら、どんなに「面白い」だろうか──そう考えるようになった。

「面白い」物語を、エンターテイメントをとことんまで追求したい。その思いを胸に、今年も創作活動を続けていこうと思う。

2020年もよろしくお願いいたします。

パトリック・シルベストル

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