マルドゥック・スクランブル:最高にクールなSF小説!

マルドゥック・スクランブル

久しぶりにSF小説を読んだ。学生時代は、授業そっちのけでSF小説を貪るように読んだ。フィリップ・K・ディック、ウィリアム・ギブスン、アイザック・アシモフ──工業都市の象徴たる排ガスが烟る中、ネオンの灯りが怪しくまたたく。そんな近未来を想像しては、ひとり法悦していた。

だが、そんな一人ハヤカワSFフェアも長くは続かず……三日坊主で、なおかつ飽き性の私は、ほどなくSF小説から離れていった。それから数年が経過し、私のSF熱が再燃することになる。その契機となった1冊のSF小説。じつに数年ぶりに触れたSF小説だった。伊藤計劃『虐殺器官』──アニメ化前提のSFアクション……というのが表紙から受けたファーストインプレッション。だが、冒頭を読んだ瞬間、その印象が一瞬にして粉砕された。月並みな言い方をすれば、鈍器で頭を殴られたような衝撃。

鋭い洞察とシニカルなユーモア。随所にちりばめられたオタク心くすぐる小ネタの連撃(シャーリーズ・セロンは幼少期に父親が殺されるのを見てるんだぜ、とか。ケヴィン・ベーコンゲームとか。庵野秀明監督が作品のそこここにイースターエッグ的にオマージュを埋め込むのと同じ、受け手を試すようなギミックがたまらんのですよ)フィッツジェラルドも斯くやといったセンチメンタルな一人称の語り口──そしてそれと対象をなす『虐殺』というヘヴィなテーマ。これはすごい。私の頭の中で燻っていたSF熱が、ビッグバンのごとく爆ぜた瞬間だった。

で、伊藤計劃さんを皮切りに書店のハヤカワSF文庫の棚を物色し始めたワタクシ。2000年代、いわゆるゼロ年代を代表するSF作家というカテゴリーでたびたび目にしていたのが「冲方丁」さんだった。小説を読んだことはなかったけれど、そのユニーク極まりないお名前だけは──少なくとも読み方くらいは──知っていた。今や『ぼくらの』と並んで鬱アニメの定番として挙げられる『蒼穹のファフナー』

ロボットアニメに目がない私。えぇ、もちろん観ましたよ。しっかり劇場版まで観ましたよ。Angelaの謳う主題歌なんて、学生時代の「マイベスト・プレイリスト」にも入ってましたわよ。そんなわけで、映像媒体で活躍されている人という認識だったのであります。だから、最初書店の棚で冲方さんのお名前を見かけたときには、「ふぇー。映像畑から小説家かぁ。なんだか虚淵さんみたいな人だな」とか不遜にも思っておったわけですよ。

馬鹿……馬鹿ばっか……(ワイはアスカよりもルリルリ派だからな! エヴァのヒロインはミサトさんなの! 異論は認めん! おいそこの君、突然マニアックなネタぶち込まれたからってドン引きするんじゃない。)

かくして、「映像畑の人」冲方丁さんの小説を読もうと思い立ったわけですが、何となく軽い気持ちで「まぁ、一番有名なやつから行くか」みたいなノリで読み始めたわけです。『マルドゥック・スクランブル』を。その後、私のSF観とか小説観とか、なんだったら創作活動にいたるまで激烈な影響を与えることになるこの作品を。そんな「ちょっとコンビニ行ってくるわ」的な軽〜いノリで読み始めたわけなのです。馬鹿……ホント、馬鹿ばっか……(もうええわ)

もうね、最高……すべてが最高です

マルドゥック・スクランブル

©️冲方丁 / マルドゥック・スクランブル製作委員会

一度読み始めたら止まらなかった。最後まで一気に読んだ。もうノンストップ。撃発した弾丸のごとく猛スピードで読んだ。少女娼婦、バロット。虐げられ、弄ばれ、すっかり傷ついた少女が力を獲得し、復讐する。楚々としたバロットのイメージに反して、ストーリーの根幹に流れるのは重く、どす黒い負の感情である。想像するだけでも胸が詰まりそうになる凄絶な過去を持ちながら、それでも懸命に生きようとするバロット。その純真な生への渇望は、バロットと同じくらいピュアな相棒ウフコックの協力によって成就される。

銃を持つ戦闘少女──ヴィジュアル的に見栄えするバロットとウフコックに平板な戦闘の連続、なんて生ぬるい試練を課さないのが冲方丁さんの妙手。だって、まさかクライマックスの「対決」の描写がギャンブルですよ! しかもブラックジャック!! しかも、イマイチ──というかほとんど──ルールを分かっていなかった私が読んでも、何が起きているのか分かるように描写された一連のギャンブルシーンたるや、もう……ページを捲る手が震えましたよ。いや、掛け値なしで。

さらに驚くのは、あの圧巻のカジノシーンを書きあげたとき冲方丁さん、まだ若干26歳。ホテルに篭もってホントに吐血しながら書きあげたということだけど、なんかもう色々とスゴい……しかも、文庫本3冊ものボリュームを誇るマルドゥック・スクランブル(元の題名は『事件屋家業』、『マルドゥック・フラグメンツ』に収録)が、当初は短編として編集者からオーダーされていたという驚愕の事実。なんだこの人……創作のモンスターか……

カジノシーンの圧巻の描写もさることながら、その他もぜんぶひっくるめてすごい。
続きが気になって仕方ない物語の展開/カッコよすぎる戦闘シーン/どこか現実と地続きになった感のあるマルドゥックシティの世界観/イースターやウフコック、ベル・ウィングといった魅力あふれるキャラクターたち/そしてなによりも、ウフコックとバロットの間で交わされる感情の機微──もうね、好き。ぜんぶ好き。ボイルドとの決闘シーンが終わったとき、思わず涙が零れたもん。バロットの成長ぶりにも、刹那のなかでボイルドが見つけた虚無の輝きも、ウフコックの取った行動にも、それらすべてに感動した。

海外翻訳のミステリとか海外の古典作品とかをテキトーに手に取ってはイマイチ面白さを感じず、どこか欲求不満状態だった私の裡で衝撃が走った瞬間だった。もはや、これはパラダイムシフト。晴天の霹靂。

「なんだよ、小説ってこんなに面白いのもあるんじゃん」これが率直な思いだった。これまで読んできた小説もたしかに面白い作品は多々あったけど、なんというか、面白さの破壊力が桁違いというか、こと『マルドゥック・スクランブル』に関しては頭一つどころか三つくらい飛び抜けて面白かった。マルドゥックのシンボル、天に向かって聳え立つモニュメントと同じくらい飛び抜けていた。

近未来のアメリカを彷彿とさせるマルドゥックシティ。天高く屹立するブロイラーハウス。名の由来はは、市の政令中枢部にあるモニュメント「天国への階段」にちなむ。

少女でありながら娼婦として働くバロットは、オクトーバー社の手先であるシェルの奸計によって、瀕死の状態に陥る。マルドゥック・スクランブル0-9≪オーナイン≫法、禁じられた科学技術を使うことで一命を取り留めたバロットは、その圧倒的な電子干渉≪スナーク≫技術と、委任事件捜査官のドクターとウフコックの協力を得て、シェルに法の裁きを受けさせるべく行動を開始する。

これだけだどSFアクションエンターテイメントのような印象。だけどその奥にちらつくのは、ヘヴィでブルータルなヴァイオレンス。そもそも、少女でありながら娼婦という設定自体がかなりヘヴィ。ヴァイオレンスでグロテスクといえば、序盤で登場する誘拐屋の一味。これがまた奇怪千万な集団。後の作品『マルドゥック・ヴェロシティ』に登場するカトルカールに匹敵する奇っ怪さ。

人体のパーツに対して偏執狂的な憎愛を見せるミディアム・ザ・フィンガーネイル。その他、グロテスクな外貌をした実働部隊の面々。情報戦に特化したフレッシュに至っては、全身に乳房を移植した肉塊として描写される。クレイジーこのうえない。暴力が渦巻く渾沌としたマルドゥックシティの暗黒街──そこへ善なる光をもたらすのがバロットなのだ。シェルの策謀によって業火に焼かれたバロットは、マルドゥック・スクランブル09によって九死に一生を得る。心に傷を負ったバロットと、彼女を優しく見守るイースター、煮え切らない態度の裏に人一倍の繊細さを秘めたウフコック。この三人の関係性が次第に変化していき、バロットは少しずつ前進していく。

シェルの車の中、ひとり置き去りにされた瞬間、バロットは自らが罠に嵌められたことを悟る。そのときに頭の中に浮かぶのは、負のイメージを持った言葉の数々──韻である。突如として眼前に現れた死の気配。それを甘んじて受け入れようとする自分と、何とかして生き延びようとするもう一人の自分。相反する両者が胸の中でせめぎ合い、相克し、やり切れない気持ちが悪罵となってバロットの口からこぼれる。そんな絶望の淵にいたバロットが、自らの足で這い上がり、前進していく様子に私の心は鷲掴みにされたわけであります。

巻末のあとがきで、冲方さんが書いていた言葉が、バロットの旅路をいみじくも言い表していると思った。

最善であれ、最悪であれ、人間は精神の血の輝きで生きている。エンターテイメントは、その輝きを明らかにするための方法に他ならない。

エンタメの本質を衝いた至言。同時に、これはバロットの辿った『マルドゥック・スクランブル』の軌跡でもある。

どうして、不条理に満ちた暗い世界で、悲愴な運命を辿る少女を描く必要があったのか──その問いに対する答えがこの言葉なのだと思う。

人々は、エンターテイメントを求める。
映画、小説、ゲーム、いずれの媒体においても観客はその作品世界に入り込み、そこで喜怒哀楽を経験して物語の幕を閉じる。その一連の経験が、「面白い」という感情に帰結する。

主人公と同化し、同じ経験を共有し、作品を後にするとき、私たちは何らかのカタルシスを得ている。

そのカタルシスこそ、精神の血の輝きであり、バロットが辿った苦難の道のりに他ならない。

マルドゥック・スクランブルはSF小説の傑作だ。同時に、現代のエンターテイメント小説の傑作でもある。

ウフコックとバロットの関係が素敵すぎる

ウフコック・ペンティーノ

©️冲方丁 / マルドゥック・スクランブル製作委員会

マルドゥック・スクランブルに登場するキャラクター達は、どれも個性的で魅力的だ。
その中でもひときわ存在感を放つのが、バロットの相棒にして宿敵ボイルドの旧友、ウフコック・ペンティーノ。

黄金色のネズミと、心に傷を負った少女。このちぐはぐな二人の関係性が、ストーリーを追うごとに展開していく。『マルドゥック・スクランブル』のプレリュードにあたる『マルドゥック・ヴェロシティ』を読み終えてからもう一度読み直すと、ウフコックの見え方が違ってきて、感情移入の仕方も変わってきてこれまた面白い。誰も信用できないバロットと、相手の感情が匂いでわかるがゆえに──その頭でっかちな性格もあいまって──他人と距離を置くウフコック。そんな二人がお互いに歩み寄り、思い合い、協力するに至るまでの感情の機微。一巻のラスト、ウフコックの力を濫用したバロットが血まみれの銃を振りかざすシーンなんて度肝抜かれましたよ。いや、ホントに。これ読み終わったの明け方だったんだけど、朝になって書店へ猛ダッシュしたからね、私。

煮え切らないやつ=ウフコック、数字の5=ペンタゴンに因んだネーミング。黄金のネズミ。サスペンダーに乗った肥満気味なお腹。身振り手振りもスケールが小さいから可愛らしいことこのうえない。テーブルの上に乗って身振り手振りを交えながら自説を懸命に説く様子も、その内容いかんよりも仕草が可笑しくて思わずほっこりしてしまう。うん、ウフコックかわいい。かと思いきや、『マルドゥック・アノニマス』ではそんな悠長なことを言ってる場合じゃないような驚天動地の展開になり……あ、それはまた別の機会にしよう。

あらゆるモノに変身(ターン)するというチート感満載の能力を持つ万能道具存在(ユニバーサルアイテム)。最初こそ煮え切らない態度のウフコックだが、バロットが純粋に自らの存在を追求し始めたとき、ウフコックはバロットを守る殻(スーツ)となった。

作中でバロットが着用するスーツのように心身ともにバロットへ寄り添い、融合し、彼女の能力を十全に発揮するべく持てる能力を遺憾なく発揮し、自身の有用性を──ひいてはその存在意義を証明する。

不器用な二人のいびつな関係性とその変化。これこそ『マルドゥック・スクランブル』が最高におもしろい理由の一つ。まるでそこに居るかのように、たしかな質感を持って感じられるほど、二人の感情がリアルに描かれているのだ。だからこそ、二人の関係が深まるにつれてボイルドがウフコックへ投げかける嫉妬と悔恨の入り交じった視線がなんとも不憫に感じられるのだけれど……ウフコックの力を濫用し、傷つけて打ち捨てたのはボイルドだが、心のどこかではウフコックの元を去ったことを後悔してるんじゃないか。本当は、バロットのようにウフコックと一緒に居たかったんじゃないか。まぁ、このあたりの過去は『マルドゥック・ヴェロシティ』でつまびらかになるんだけれど、『スクランブル』を読んだ当初はなんとなくボイルドが哀れに思えたのだ。それゆえに、クライマックスの対決シーンは凄まじい描写と相俟って涙なしには読めなかった。

仮借なく冷厳で、どこまでも虚無に満ちた男──不眠の男/友軍の頭上に爆撃を降り注いだ死の天使=ディムズデイル・ボイルド。『スクランブル』のときは、車を丸ごと吹き飛ばすほどの大口径オートマチックでもってバロットをつけ狙う猟犬だったボイルドだが、『ヴェロシティ』では一変。それまで脅威でしかなかった虚無の男の内面が鮮烈に描かれていて、これを読むと今までのボイルド像がまったく変わって見えてくる。この人物造形というか、キャラクターの感情そのものの描写というか、かくも実感を持ったキャラクターを描くことのできる冲方丁さんに尊崇の念を禁じえない。

うん、やっぱすごい冲方さん。一度でいいからお逢いしてみたい。っていうか、マルドゥックシリーズのようなSFから、『ファフナー』や『サイコパス』のようなアニメシリーズ、はたまた『天地明察』『光圀伝』のような歴史小説と、こんなに多ジャンル多媒体を横断して活動してらっしゃることにこれまた崇敬。心服。いや、ほんとに天才だなこの人。でもってイケメンだし(単なる嫉妬……)

冲方さんの文体

マルドゥック・スクランブル

©️冲方丁 / マルドゥック・スクランブル製作委員会

高身長だしイケメンだしロン毛が似合う冲方丁さん。そんな外見に違わず(どういうこっちゃ)文章もカッコいいのよ。いや、カッコいいと言うと省略し過ぎかも……『マルドゥック・スクランブル』はバロットやウフコックの内面をすくい取るかのような繊細なパートと、戦闘シーンの視覚的・音感的なカッコ良さとが共存している感じ。私の大好きなジェイムズ・エルロイの『ホワイトジャズ』を換骨奪胎したクランチ文体──この実験的な文体で書かれた『ヴェロシティ』こそカッコ良さが吹っ切れてる。かと思いきや、まるで映画を観ているかのような大人数が同時に動き、話し、事態が進展していく『マルドゥック・アノニマス』 1巻〜3巻まではイースターズ・オフィスのメンバーたちとクインテットの会話シーンが多いわけだけど、驚天動地の展開をみせた4巻では一変。いつの間にやら姐さんになっていたバロットとウフコックの機微がこれまた絶妙な具合で描かれていて、思わず感涙。はたまた『シュピーゲルシリーズ』ではクランチ文体でラノベをやってのける。うん、まさに変幻自在。

冲方さんの文章はカッコいいんだけれども、そのカッコ良さというのはおそらくこの千変万化する文体のバリエーションに拠るものだと思う。かくも自在に文章を作品によって変えることのできる技術・手腕に鬼才のフィルムメイカー、クリストファー・ノーランと同じカッコ良さを感じるわけなのですよ、私は。カッコ良くないすか? 最高にクールじゃないっすか。

漫画家さんやイラストレーターさんは、絵で物語を描写する。俳優さんは自らの肉体と魂を通じて空想の世界に居る役を実在化させる。音楽家は音の連なりによって。彫刻家はその造形によって。で、小説家の御仁はというと、それらを言葉によって行う。言葉ですよ。映画であればカメラに映像を収めると済むようなたった1つの動作を言葉で置き換えようとすると膨大な数が必要となるわけなのです。ましてや、言葉から連想するイメージには人によって少なからず差異が生じるはずで、それらを考慮したうえで意図したイメージを読者の頭の中に投影する──並大抵の労力じゃない。すげぇ。

冲方さんの文章における特徴として最も顕著なのが『ルビ』である。もはやセンスの塊としか言いようのない言葉の選択。黒丸尚さんの翻訳による『ニューロマンサー』との共通項や、幼少期を海外ですごした冲方さんのバックボーンやらが引き合いに出されるんだけれど、そんなことは脇に除けといてとりあえずカッコいい。これは『ばいばい、アース』の話だけど、知恵深き月歯族=ワールドワイズ・マウティーとか、字面的にも音感的にもカッコいいじゃないっすか。電撃文庫のようなライトノベルで散見されるような厨二心くすぐるカッコ良さとはまた違うベクトルのカッコ良さ。純粋に文章として捉えたときに立ち昇る言葉の「粋」というか何というか。電脳空間=サイバースペース、作業=ビズと同じベクトルのカッコ良さがある。

大御所、富野由悠季さんとの対談で、かの巨匠が「冲方さんの小説ってヴィジュアル的だよね」と仰っていたんだけれど、なんとなく分かるような気がした。ルビって漢字・かなと同時にカタカナを見せることができるわけで、日本語を英語に直訳すればルビのカッコ良さが獲得できるかというとそうではない。このあたりの微妙な案配はセンスに左右されるんじゃなかろうか。思えば、クライマックスのカジノシーンにおけるゲーム描写だってどこか視覚的。ダッシュと改行を多用していて、ぱっと見で何がどうなっているのか理解できる。でもって実際に文字を目で追っていくと、ゲームの流れが、バロットの視点で進行するギャンブルの一挙手一投足がありありと脳裏に浮かぶのだ。

それらすべてを勘案して、『マルドゥック・スクランブル』ひいては冲方丁さん、大好きっすね。うん、熱っぽい締めくくりになるけど大好きだな、『マルドゥック』シリーズ。あぁ、一度でいいから冲方さんにお逢いしてぇ(切実)

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